重監房資料館

草津温泉に行く機会があり、帰りに重監房資料館を見学してきました。

[重監房とは]
「重監房」とは、群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園の敷地内にかつてあった、ハンセン病患者を対象とした懲罰用の建物で、正式名称を「特別病室」といいました。

しかし、「病室」とは名ばかりで、実際には患者への治療は行われず、「患者を重罰に処すための監房」として使用されていました。

[重監房のあらまし]
ハンセン病隔離政策の中で、多くの患者が入所を強制されたこともあり、患者の逃亡や反抗もひんぱんにおきました。

このため、各ハンセン病療養所には、戦前に監禁所が作られ、「監房」と呼ばれていましたが、この特別病室は、それよりも重い罰を与えたという意味で通称「重監房」と言われています。

重監房は昭和13年(1938年)に建てられ、昭和22年(1947年)まで使われていました。

この、およそ9年間に、特に反抗的とされた延べ93名のハンセン病患者が入室と称して収監され、そのうち23名が亡くなったと言われています。

60年以上を経た現在、この建物は基礎部分を残すのみとなっています。監房への収監は、各療養所長の判断で行われていました。

これは、ハンセン病療養所の所長に所内の秩序維持を目的とする「懲戒検束権」という患者を処罰する権限が与えられていたからです。

正式な裁判によるものではなく、収監された患者の人権は完全に無視されていました。(重監房資料館ホームページより)

中には実寸大に再現された房の一部や発掘調査で出土した遺物、ハンセン病の歴史や証言を学ぶ展示や証言映像などのコーナーがあります。

実寸大に再現された重監房は4畳半ほどの板張りの窓もない独房で天井付近に細長い明り取りの穴と、薄い弁当箱とお椀を入れられる食事差し入れ口と排泄する場所のみ。

光も入らず、冬には布団が床に氷つきその中で凍死して亡くなった方々。

その事実を目の当たりにして、心底恐ろしさを感じました。

罪のない人々を強制的に収容し、反抗したからと人権を無視した行為が行われる。

根強い偏見と差別の感情は人の命も人権も奪ってしまうのです。

この事実を重く受け止め同じ過ちを繰り返さないことが、私たちの責務だと感じました。